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2015年12月19日(水)

「どうなる? 選択的夫婦別姓制度。日本は世界の潮流から40年は時代遅れ」

 
 

 
自分の姓について、深く考える機会はあるでしょうか? 多くの人にとって自分の姓など、生まれた時から疑問もなく使っている空気のようなものかもしれません。
 
しかしいざ結婚という時になって、初めて姓について考えます。それも女性だけが。
 
ここで、先にちゃっちゃと明言してしまいましょう、
 
「結婚して姓を変えたい女性もいれば、変えたくない女性もいる」。
 
そんなことは当たり前です。
 
我が国では、この「当たり前」が一向に認識されず、「変えるのが良いのか、変えないのが良いのか」の地点でいつまでも堂々巡りしている。なんとも非合理的で幼稚くさく、
 
「文明国じゃないのでは?」
 
とすら思います。
 
ちなみに私はその議論に加わることもアホらしくなり、姓を変えたくないことがかなりの大きな理由(ほかにも理由はあります)で「事実婚」を決め込み、現在は事実婚歴も 12年目になります。意識の上では「結婚制度の否定」である「非婚」に限りなく近い「事実婚」です。
なので、

「選択制夫婦別姓制度を認めてくださいッ」
 
という切なる思いはあまりなく、どちらかというと「とりあえず事実婚でいいんじゃないのぉ?」派です。とはいえ、とはいえ。
 
 

▶︎夫婦同姓は伝統?

 
 
そもそも、夫婦同姓は「日本の伝統」なのでしょうか?
 
調べてみると、国が夫婦同姓を定めたのは明治時代半ば、法政という意味ではまだ100年くらいの歴史しかありません。
その前は武士や貴族以外は名乗ることも許されていなかったですし、その武家や貴族の家でも女性は別姓でした。「女は夫の血族じゃないから名乗っちゃダメ」という儒教の考え方からですね。
そのため、女性側から
 
「同姓を名乗りたい」
 
という要望もあがったそうです。
正妻vsお妾さんバトルなどもあった時代、女性は「無能者」とされ、産む機械としか思われていなかった時代。「勝ち取った夫婦同姓」の側面もありそうです。
 
また、こちらのほうが大きな要因と思われるのは
 
「ヨーロッパの家父長制に習う」→「ほら、日本も近代化しているんだぞ」→「日本は強いんだぞっ」
 
という流れ。戸籍制度、これすなわち富国強兵に向けた「徴兵台帳」。日本も植民地にされるかもしれないという危機感の中、振り返れば特に不思議な話ではございません。
 
…ははあ、でもこれが果たして「日本の伝統」?
 
ちなみにキリスト教圏の「夫婦同姓」はどうなったかというと、70年代から家族法の見直しが行われ、別姓も選べるようになっています。ほらね、日本は40年も「時代遅れ」なのですよ。
ここで大事なのは他国では「姓に関し強制する法律がない」点でありましょう。
 
「世界でも同姓が多いじゃないか!」
 
論は的外れ。「個人が名乗る姓に対し、自由度が高い」というところは、日本の事情とは全く異なっているのですから。
 
「時代のニーズ」に答えて、変化している。という点をも見逃せません。同姓か別姓か論にあらず、時代に合わせて代謝しているのかどうか? なのです。
 
 

▶︎日本のニーズはどうなのか?

 
 
翻って我が国はどうでしょう。
 
女性も幼少時から男性と同じ教育を受け、「将来の夢は何か」と授業で問われたりなど、してきていますよね。
その問いに100人の女子生徒が100人揃って

「お嫁さんになりたいです」
「お妾さんではなく、確固たる地位である正妻の座を勝ち取りたいです」

と答えている時代ならばさぞかし、結婚して女性だけが晴れて改姓することに「整合性」があるというものでしょう。
 
現代日本の女子の夢って、そんなかんじですかね?
 
そんなかんじどころか、職業として技術を得て社会に貢献することを教えられ、男女の区別など超えて、それぞれが展望を持つのではないでしょうか。
そうして得た職業をまっとうする場面において、夫婦同姓が不便なことも多々あるわけです、私がそうであるように。
 
なぜ挫かれるのだろう。

だったら江戸時代みたいに「女三界に家なし」とか言っておけよ! いっそのこと!
 
…とか、思うわけですよ。
 
 

▶︎民法改正の動き?

 
 
ここへきて大きな動きがあります。
夫婦別姓を認めず「夫婦は同姓にしなさい」と強制しているという、今や世界でも日本にしかない珍しい民法。いやはや本当に化石のような民法。
 
その民法について、今月16日「夫婦別姓を認めない民法の規定が憲法違反かどうか」最高裁大法廷にて判決を下すとのこと。
 
憲法では「男女平等」を謳っているのに、夫婦同姓を強制するとは、違憲ではないの? ということなんでありますね。はい。
 
ここで改めて問題の民法を見てみましょう。
 
「民法750条 夫婦は婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」
 
つまり、結婚したら夫か妻の姓にしなさいよ、ということですね。
あれ? と思う方はいませんか。「妻の氏を」という点です。
 
「夫婦の姓は「妻姓」に統一してもいい」
 
これ、どれだけの日本人が認識しているのでしょうか。いざ婚姻届を出す段にならないと、一生気付かないのでは。
何しろ、結婚している夫婦の96%が当然のように「夫の姓」を選んでいるのが実情。気付かないのは不思議でもなんでもありませんね。

民法上はひっそりと「夫の姓でも妻の姓でも好きなほうを選べるよ」と言ってるのだから
 
「男女平等じゃん」
「憲法違反じゃないじゃん」
 
という論法も成り立つように、巧みに仕組まれては、ある。ということなんです。実際はこの国特有の「同調圧力」によって、妻の姓を選ぶ夫婦など全体の4%しか存在しないというのに、ですよ?
実情はハッキリと「夫姓の強制」となっているのであります。
やれやれ。
 
 

▶︎今、考えるべきことは?

 
 
この判決を間近に控えて、テレビなどでも「選択的夫婦別姓」を取り上げたりもしているようですが、相変わらず
 
「別姓に賛成か、反対か?」
 
を、やっております。
わざわざ年齢別に賛否のグラフまで拵えたりして、なんの意味があるのでしょうか。なぜ「みんなが同じ価値観にならなければコトが進まない」という前提なのでしょうか。そのグラフ、全年代おおまかに50%50%なら、より一層「選択制」にすれば双方に都合がいいじゃんね? と思わず画面にツッコミを入れましたよ、ええ。
 
家族を束ねることで富国強兵やら産業躍進を目指すような時代ではありません。
それどころかこの国では、ついに家族構成で一番多いのが「単身世帯」となり、「一生結婚しないであろう率」も上昇する一方です。
ええい、
 
「結婚してるだけありがたいと思え」。
 
さらに言い募れば、いざ「選択的夫婦別姓制度」が解禁になっても、変わらず夫婦は同姓、夫姓を選ぶのでは? と予測します。
職業上の都合、生家の事情、アイデンティティの問題などなどで別姓を選ぶ夫婦、というか主に女性は、蓋を開ければ少数派でしょう。賛否のアンケートは
 
「人が別姓にするのは自由だけど、私は嫌」
 
層がかなり含まれているでしょうから。
 
ということはこの話、「なぜ少数派に便宜を図らないのですか?」

…という議論にもなっていいはずなのに、そんな気配は全然ありません。
 
人間誰しも人生を歩むうちに、予定したわけでもないのに「少数派」の淵に落ち込む局面は多々あります。その時になってみないと少数派の苦悩はわかりませんので、多数派(に属していると思い込んでいる人々)は気軽に異端を排斥し、自由を制限しますが、さあ、いざ自分がそうなった時は、一体どうするのでしょうね。
 
嗚呼、本当に「少数派が生きにくい国」(実感)。

とはいえ16日、どう転ぶのか、ちょっとくらいは楽しみにしています。
 
 
 
 


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しばざきとしえ

イラストレーター兼
コミックエッセイスト。
セツモードセミナー卒。
女性誌に実際の取材によるイラストルポを描いたり、自身の体験をもとに
エッセイマンガを書籍化するなど幅広く活動中。
キャラクター作家の顔も持ち、脱力系キャラ「ウサワカメ」の商品化も多数。

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